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そういえば日本では夏の甲子園大会が終わったんだよね。
ちょっと記事にするには遅いかもしれないが。
まだ日本に住んでいる時、甲子園の高校球児のプレーを見るのが好きだった。これでも俺、昔は野球小僧だったから。
大阪とか東京のような大都会の私立の野球強豪校には専属のスカウトマンがいて、日本全国の野球の上手い子供らをスカウトして集めるそうだけど、田舎の高校の野球部ではそういう活動は少ないと感じる。
かつての俺は、岡山県内で一応進学校と呼ばれる公立高校の野球部に所属していた。その野球部のメンバーの中に、将来はプロ野球選手になる!という夢を持つ者はいなかった。ほとんどの部員は高校卒業後は大学進学を目指していたし、もちろん俺もそうだった。
そして誰ひとり『甲子園を目指そう!』と口にした部員はいなかったし、おそらく口に出さなくとも心の中でも甲子園を目指した部員はいなかったと思う。もしかしたら『甲子園』っていうキーワードが恐れ多くて進学校の自分達が目指すべきではないという深層心理が働いていたのかもしれない。
だから甲子園に出場するチームは想像もつかないような練習をこなし、野球センスあふれるスター選手が集う、俺たちには全く手の届かない雲の上の存在としか思えなかった。(当時のPL学園、横浜高校など怪物の集まりとしか思えなかった)
でもたまにさ、あるじゃん。県内有数の進学校って呼ばれる高校が甲子園に出場するっていうケースが。甲子園で優勝争いに絡む・絡まないは別として、少なくとも各都道府県の県大会では勝ち残ってきたわけだ。どんなに田舎であっても、それなりに野球の強豪校はある。その強豪校に勝ってきたからこそ甲子園に出場してるんだ。もしかしたら、その進学校の球児の中にはセンター試験を受けて東大や京大を目指して合格した人もいるかもしれない。東大や京大でなくとも、その他の国立大学だったら絶対に進学した球児はいるはず。
授業が終わった放課後、または授業が始まる早朝の限りある時間に効率良く練習し、尚且つ大学受験の準備までしてるんだ。凄いなぁって思うんだ。高校時代の俺は甲子園出場を考えたことなど一度もなかった。だが甲子園出場を果たした進学校の球児は、間違いなく大学進学と甲子園出場の両方を本気で目指したはず。甲子園出場は運だけでは叶わない。
本来、高校の野球部に所属しているなら誰だって甲子園出場を目指していいはず。進学校の球児でも甲子園を目指していいんだ。でもどうしても進学校といえば甲子園より大学進学を優先すべきという世間の風潮がある。進学校の球児が甲子園を目指したら法律に反することなど決して有り得ない。
そんな世間一般の常識に囚われず、甲子園出場を果たした進学校の球児は素晴らしい。監督が強い信念を持つ指導者かもしれないし、志の高いキャプテンのお陰で団結力の強い野球部だったのかもしれないが、どういうチーム事情だったのか、俺は興味があるんだ。『進学校の俺達でも甲子園に行ける、行く!』っていう、その思考の原点を知りたい。
ところでさ、世間一般で金持ちって言われるヤツがいるだろう。
それは親が金持ちだったらから金持ちなのだろうか?もちろん、家族代々の資産を受け継いで生まれながらに裕福に生きている人が存在することは知っている。でもそれは本質的に金持ちって言えるのだろうか?その本人自身が築きあげた財産ではないのだから、生まれながらに『人生の宝くじ』に当たっただけの人と言えないか?
- 両親がなく極貧の幼少時代に生活保護を受けながら学校に通い、日本のロックスターの大御所、矢沢の永ちゃんが金持ちではないと否定できる人はいるか?
- 極貧で、しかも極寒のシベリア生まれでテニスで世界の頂点にまで上り詰めたマリア・シャラポアは今でも貧乏人なのか?
- 「ウォール街のグレートベア」という異名をもち、死後およそ80年の今もなお伝説の相場師と言われるジェシー・リバモアは貧しい農家の出身だ。
- ハンガリー出身の現代最強の投機家ジョージ・ソロスの少年時代は、ナチス・ドイツによるユダヤ人狩りをギリギリ逃れ、イギリスで極貧の学生時代を過ごした。
- 恐れ多くも俺だって貧しい家の出身だ。俺の親父は中卒の身体障害者だ。
何が言いたいかっていうと、金持ちの家に生まれたから金持ちになれるワケではない。貧乏な家系の生まれでも金持ちを目指していいんだ。むしろ、生まれながらに『人生の宝くじ』に当たっただけで生産能力のない奴であるより、自ら何かを産み出す力を身に着け、社会に必要とされ、立身出世していく姿のほうがカッコよくないか?親の代で成功した会社を引継ぎ、高級車を乗り回し、フェラーリ王子って呼ばれるのがカッコいいのか?
俺が思う金持ちの定義は、最低資産1億ドル以上。でも、その資産額だけではない。全てを失っても再起できる、または以前よりも資産を増加させることができる人。これが俺が思う金持ちの定義だ。本当の生産能力を身に着けた人は、全てを失ってもゼロからやり直せる!
だから俺はアラブの連中を金持ちとは思わない。アイツらは油が出なくなったり、代替エネルギーが開発されたとき、全く生産能力のない奴に成り下がる可能性が高いからだ。
身の丈にあった生き方をしろ!
って言う頭の固い奴がいる。
でもさ、そもそも
自分の身の丈って誰が決めるんだ?
他人が決めることではないはずだし、ましてや生まれた環境や親で決まることではない。
アナタの身の丈はアナタ自身が決めればいい!そして思考と行動次第で、アナタの身の丈は変えられる!
たとえサルでも、タバコを吸ってエレキギターを弾いたって問題はない。
貧乏な家、貧乏な国の出身でも金持ちを目指していい!
肉体的・経済的なハンディーキャップを背負っていても上を目指していい!
FXトレーダーを目指すのに年齢制限はない。
サラーリーマンでもFXトレーダーを夢見て目指していい。
最低限として国の法律だけは守り、世間の一般常識に囚われてはいけない。ズバ抜けた結果は常識外れな思考や行動から生まれるものだから。
今の日本には、無いモノがない!っていうくらい便利な世の中だ。そうすると肉体的・精神的に汗や涙を流すような努力はダサくてカッコ悪いと思われるかもしれない。SNSでサラっとキメることがカッコいい世の中かもしれない。でもそれって、薄っぺらいよ。
もう45にもなれば分かってる。日本やオーストラリアのように人権が確立された国で生きることに限定すれば、人としての人権は確かに公平だよ。(世界ではそうでない国も多いが)
しかし、
人生は不公平だ。
残念ながら自分の力ではどうにもならないことが多々ある。容姿や環境・チャンスに恵まれないと嘆いても何も始まらない。今の状況を認め、それを打破するために前進し続けた者だけが成功を手にするのだ。
学校では勝者と敗者を決めなくなったかもしれない。でも人生は違う。人生は敗者を助けてくれない。そして人生に夏休みはなく、マラソンのように走り続けるもの。
多数決
良いか悪いかではなく、多いか少ないかで物事を決めるってものだよね。でもこれは根本的に多い方が正しいっていう意味ではない。もし金持ちと貧乏人が多数決をしたら、絶対に貧乏人が勝つ。なぜなら圧倒的に貧乏人のほうが多いから。でもそれは、貧乏人が正しいという意味ではない。
大衆は常に間違っている
かつてジョージ・ソロスが放った言葉だが、確かにその通りだなって思えるようになってきた。
俺はよく、
相場に夢を見るな、希望を持つな!
とブログの記事に書くが、あれは相場に私情を持ち込むなっていう意味であり、相場では目の前のチャートの現実に決断し、反応しなければならない。
だが、人生には大きな夢を持つべきだ。
夢がなけりゃ、
俺だってトレーダーなんて目指さなかったさ。
- 思考が変われば言葉が変わる
- 言葉が変われば行動が変わる
- 行動が変われば習慣が変わる
- 習慣が変われば性格が変わる
- 性格が変われば運命が変わる
全ての変化は思考から始まる。だから、
大きな夢を描け!
緻密さと併せて大胆不敵に大風呂敷を広げてナンボのもんよ
誰かに否定されても自分を信じろ。確かに俺は簡単に人を否定し、嫌味ったらしく小バカにするようなどうしようもない人間だ。そんな俺に否定されて弱気になるような奴が、相場で生き残れると思えない。
いつの時代もやる奴はやる。
やらない奴はどれだけケアしてもやらない。
矢沢永吉
やるのか、やらないのか、
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